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介護とホメオパシー:父の最期の日々

朝焼けの空
【この記事を書いた人】横浜のクラシカルホメオパス山田千鶴子。パニック障害で10年苦しんだが、ホメオパシーレメディに出会い、悩みのない自由な生活を送れるようになる。2010年よりホメオパス。心身の問題に悩む全国多数のクライアントさんをサポートする。詳しいプロフィール

介護生活に、ホメオパシーは便利なツールです。

 私の場合、親の介護をしているとき、ホメオパシーには本当に助けられました。

 

父は7年前に90歳で亡くなりました。

母はいま介護施設で、まあまあご機嫌に暮らしています。

 

そんなわけで、今はもう母の買い物をしたり一緒にランチするくらいで「介護」といえるようなことは何もしていません。

 

でも父が亡くなる前の7年間は、今思ってもそうとうストレスの介護生活をしていました。

 

 

素晴らしいケアマネさんやヘルパーさんたちにしっかりお世話になっていたし、同居している方に比べれば比較にならないほど楽だったと思います。

 

それでも、介護関係ではものすごいエネルギーと時間を費やしていました。

 

突然母や父に何かがおこって駆けつける事が多かったので、突然休むことができない通訳の予約を入れることができず、仕事はほとんどできませんでした。

 

二人同時に別々の病院に入院したときなど、タオル類をいっぱい入れた大きな袋を両手にさげて2つの病院のはしご。

 

あ~。

私の人生がなくなっちゃったなあ。。なんて思いながら夕暮れの坂道を歩いたりしていました…

 

 

それでも、ホメオパシーのおかげで本当に助けられることが多くありました。

 

母の転倒と骨折。手術とリハビリ。

父の腹痛や不安、交通事故。。

 

ひとつずつ言い出すとキリがないのでここには書きませんが、もしホメオパシーがなかったら介護生活は10倍大変だった気がします。

 

 

そしてホメオパシーの素晴らしさは、父の見事な最期に象徴されているような気がします。

 

 

父は、亡くなる2-3年前でしょうか。

何かのときに撮ったレントゲンで肺がんらしきものの影を発見されました。

 

 

そして肺がんと確定するためには気管支鏡を入れて検査をする必要があると言われました。

 

これは苦しい検査です。

 

でも父は苦しいこと、痛いことが大嫌い。

 

絶対受けたくないと言いました。

 

父の年齢を考えると、かりに肺がんと確定しても手術はムリ。

抗がん剤か放射線治療と言われました。

 

 

どちらも生活の質が著しく下がる治療です。

 

この先何年あるかわからないのに、残りの日々を吐き気などで気分の悪い毎日にする意味があるのか?

 

それで半年、1年寿命がのびたからといって本当にそのほうが良いのか?

 

 

家族で真剣に考えたすえ、父の意思を尊重して、検査はしないと決めました。

 

 

そのことを担当の先生にしっかり説明しました。

がんなのかもしれないけど家族全員の決定として検査はしません。

 

だから当然「がん治療」はしません。

 

でももし何か症状がでてきたらその苦しさや痛みをとる治療はお願いします。

 

 

先生はしっかり話を聞いてくださり、わかりましたとおっしゃいました。

 

 

とにかく病院が大嫌い。

自宅で死にたいという父でしたが、

もしもガンが進行して痛くてたまらなくなったら最後の手段として緩和病棟に入院することもあるかもしれない。

 

 

ということで、両親と私でその病院に併設されている緩和病棟の見学にも行きました。

 

海沿いのその病院の中でも本当の水際にある緩和病棟は、素晴らしい場所でした。

 

海を見晴らす大広間がゆったりとあり、そこで人と話すこともできるし、安全な個室にこもることもできます。

 

 

そして何より、緩和病棟にいる看護師さんとお医者さんは、普通の医療職の方とは雰囲気が全く違いました。

 

ほんとうに優しく患者をただただ受け止めるという別次元の方々で、両親と私はセーフティネットを得た思いで安心して帰宅しました。

 

 

そしてそれから2-3年。

父は特に肺がんらしき症状を出すこともなく、それまでと同じ暮らしを続けました。

 

胃が痛いとかお腹が痛いとか小さな不調はもちろんあるのですが、それは慢性用にずっとのんでいるホメオパシーのレメディで対処。

 

それでも痛かったら鎮痛剤をのんだりしてやりすごす。

 

 

元気いっぱい!とは言えないながらも特に大きな問題もなく日々は過ぎていきました。

 

 

そして最後の1週間。

急に食欲がなくなり一切物を食べなくなりました。

 

病院に行くと、貧血になっているから入院しなさいと言われました。

 

でも父は絶対に嫌だと主張。

 

父の一番の問題は寂しがり屋と不安だったので、入院なんかしたらたちまち精神が不安定になります。

 

 

それまでも検査入院しただけで妄想がでてきたり腸閉塞になったりしました。

 

 

とにかく父が絶対に入院は嫌だというのでお医者さんも認めてくれましたが、その代わり命の保証はできませんと言われました。

 

 

この最後の一週間、父は別人のように陽気になりました。

歌舞伎の見得を切るマネをしたり、ダジャレを言ったり。

 

ああ、父はこういう人だった。

忘れてたけど、子供の頃の父は冗談ばっかり言っている人だったなあと懐かしく思い出したりしました。

 

 

父はそれまでちょっと具合が悪くなってもすぐ復活してきたので、今回もまた復活するだろうと思いました。

 

でもお医者さんに脅されたので、一応遠くに住んでいる妹に連絡し、遊びに来てもらいました。

 

父はご機嫌で妹とも一緒に夕食を食べました。

 

妹が帰り、その翌日だったと思います。

父は夜中に眠るように亡くなりました

 

まさか本当に死ぬなどとは誰も思っていなかったので、とてもびっくりしました。

 

 

でも父がかねがね願っていた通りの、それはそれは見事な死に方でした。

 

実は数ヶ月前からちょっと胸が痛いと言い出していたので、そろそろ在宅医療のお医者さんをお願いしようかということになり、翌週面接にみえることになっていました。

 

 

でも母はそれをとても負担に感じていました。

「毎週お医者さんにお茶出したりするのできないわよ~」みたいなことを言って嫌がっていたのです。

 

父はもちろんそれがわかっていました。

 

なので母が嫌がっていることを始める前の週に、もうこれで終わりにしようと思ったのだと思います。

父の魂が、この世を去るタイミングを選んで逝ったのだと私は確信しています。

 

 

亡くなる一週間前まで、普通に毎日散歩に行き、好きな本屋さんに寄って本を買ってくるのが楽しみだった父。

 

寝たきりにならず、家族に迷惑もかけず、最後までほどほどに好きなことができてパッと死ぬ。

 

父の理想の死に方だったと思います。

とても優しかった父は、最後まで家族に優しく死んでいきました。

 

もちろん後悔は色々ありますが、でも少なくとも最後に父が苦しい思いをしなかったのはよかったと思っています。

 

死亡宣告されたのは夜明けでした。

外に出ると、見たこともない息を呑むような夜明けの空でした。

 

うす青い空いっぱいに雲がたくさん浮かんでいました。

そして、そのすべての雲が朝焼けの光をうけてバラ色に輝いていたのです。

 

あー、

父が喜んでいると思いました。

 

父が会いたくてしかたなかった大好きなお父さんとお母さんが、父を迎えに来てくれていると思いました。

 

もちろんホメオパシーをしているからといってすべての人が父のように苦しみなくパッと最後の橋を渡れるとは限りません。

 

 

人それぞれだと思います。

 

それでもたぶん、薬だけに頼って最後の日々を過ごすよりはずっと人間らしく人生の最後を味わえるんじゃないかなあという気がしています。

 

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